服部半蔵、徳川家康影の軍団、槍の名手「鬼半蔵」の意外な歴史とは?

服部半蔵と聞けば、誰もが知る歴史的人物の一人。徳川家康の「影の軍団」としても、その名を轟かせた武士。

しかし、世間では「服部半蔵=忍者」という認識で理解されているようだが実施は少々異なるようだ。

<意外な歴史>

服部半蔵家の歴史を見ていくと、初代・服部 保長(はっとり やすなが)は伊賀の忍者とされている。しかし、2代目以降は忍者ではなく武士・武将とされているから驚きだ。私たちが知っている服部半蔵は服部 正成(はっとり まさなり)の事で、実は歴史的には忍者ではなく武士という方が正しいのかもしれない。

忍者と言うと、武器は手裏剣や刀といったイメージが強いかと思いますが、私たちがよく知る服部半蔵は、巨大な槍を使う名手であり別名「鬼半蔵」として名を轟かせていたことも分かっているようです。

まおその巨大な槍は1562年、家康の人質(信康)を救出するため今川家に戦いを挑んだ際、槍を巧みに使い敵を打ち払い救出成功。その後その武功を立て、家康から贈られたのが今なお残る巨大な槍なのである。

※巨大な槍のある場所は東京都新宿区若葉二丁目に所在する浄土宗の専称山安養院。西念寺(さいねんじ)に保管されている。

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ようするに、普段私たちがTVやゲームなどで観る「服部半蔵」というキャラクターは、初代と2代目を混ぜたものかも知れませんね。

<服部半蔵のイメージの由来>

1572年に、家康から150人の部下を与えられる。その時の部下150人全員が伊賀の忍びだったとされている。これは家康の妙案と言われており、服部半蔵が伊賀の出身を知ったことによるものだったからだという。このように、半蔵(正成)が伊賀の忍びを部下に従えていた事が、忍者イメージを根付かせてしまったのかもしれない。

いかがでしょうか?

みなさんが思われていた服部半蔵の歴史。どんな人物でも歴史を紐解いていくと、意外な真実にぶち当たるのかも知れませんね!

ご覧いただきありがとうございました。

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